大村屋15代目 北川健太ブログ

<湯けむり通信vol.1>祖父が残したモノクロ写真

嬉野温泉・旅館大村屋15代目 北川健太

祖父、北川健一。私は祖父の名前から健太と名付けられた

 経営破綻の危機に陥っていた大村屋は、多くの方々の助けにより事業再生計画が進んだ。その計画では旧経営陣が責任を取り、新しい後継者を代表とすることが条件。そういった理由で、私は後継者となるべく突如関東からUターンしたのだ。

 私は嬉野温泉で、一番長く続く宿を営んでいる。24歳で代表になり14年が経った。旅館を継いだのは、2008年。バブル崩壊後、追い討ちをかけるようにリーマンショックと呼ばれる経済危機が起こり、日本全体が停滞していた頃だ。

 当時は様々なことが目まぐるしく巻き起こり、自分の経験のなさに震える毎日。そんな時に私を勇気づけてくれたのは祖父が残したモノクロ写真だった。

 祖父の名は北川健一。私が生まれる随分前に亡くなっており会ったことがない。彼は写真や狩猟、マッチ収集などを愛した趣味人だった。特に写真は自分で現像していたくらい好きだったようで、数えたことはないが1000枚以上の写真が残っている。

 14年前、嬉野の未来に希望も感じず不安でどうしようもなかった時、彼が撮影した何十年も前の嬉野温泉の風景、人々の暮らしや表情を見ていると何故だかポジティブになれた。過去を見ることで未来を感じたのだ。

 この世に確かなものなどなく、これまで大樹のように存在していたものが突然なくなる。

諸行無常。そんな不確かな世の中だからこそ私は変わらないものを探してしまう。しかし、どう探したって変わらないものなどない。

 祖父が切り取ってくれた時間は今に繋がっている。今、自分がいる場所に暮らしていた人がいた。それは確かなことだ。私がいるこの土地、この時間を残していくことで、私が残した何かが未来の誰かの役に立つかもしれない。

 ということで、これから嬉野温泉よりお伝えする「湯けむり通信」スタートです。温泉宿を営みながら感じたことや嬉野周辺で起きていること、大好きな音楽のことを綴っていきます。ここで伝えるものがいつか誰かの役に立ちますように。

旅館大村屋代表取締役の北川健太