西日本スポーツ「いい湯だな」
「スリッパ温泉卓球大会」「全国スナックサミット」「もみフェス」など7年前から嬉野温泉でユニークな取り組みが出現してきた。その仕掛け人が「天保元年創業 旅館大村屋」の15代目・北川さんだ。遅ればせながら、そんな嬉野一の老舗旅館を訪ねてきた。
嬉野温泉街の中心地、嬉野川に面して立つこちらの創業は西暦1830年。企業の平均寿命たるや今では23.5年と言われているにも関わらず、187年以上も暖簾を守り続けている。奇跡に近い。旅館名は、江戸時代に大村藩の参勤交代の脇本陣だったことに由来する。由緒正しき伝統をもあわせ持つ。
さて、その老舗に一昨年の8月、新登場した露天風呂付きの客室があると言う。今夜はそこにお世話になる。その部屋へ入った途端、テンションが一瞬ホワッと高まる。一角にあるオーディオから流れている優し気なジャズの音色のおかげだ。室内は、シックでモダンな雰囲気に包まれ、有田焼の湯口やテーブルセットに彩られた露天風呂も新鮮なデザインだ。日本三大美肌の湯を楽しむ器としてはぴったり。地元の陶芸家や家具工房、デザイナーさん達にお願いしたという。地元愛に満ちている。ひと段落したところで、予約していた貸し切り風呂へ向かうことに。浴室いっぱいに広がる窓からは初春の陽光が差し込み、総檜造りの室内は優雅さと温かさが充満している。ゆっくりと漬かる。気持ちいい。早速、ヌルヌルとした肌触りがやってきた。泉質はナトリウムー炭酸水素塩・塩化物泉。角質を乳化させ、湯上りはツルツルしたお肌をコーティングさせる。保温効果も抜群なお湯である。上質な温泉を優雅な雰囲気の中、30分ほど満喫し、「湯上りラウンジ」へ。
川沿いに並ぶソファーに腰を下ろし、火照った体にゴクゴクと冷えたビールを流し込む。世界的な名機と言われるオーディオから流れてくるジャズに耳を傾ける。夕食後なら、三々五々集う旅人達が音楽談義に花を咲かせる光景も珍しくないそうだ。湯上りの体をジャズとビールでクールダウンした後、客室で待つ夕食の元へと急いだ。ちょうどいいタイミングで、春の装いを纏った前菜が登場。前菜のレベルが料理全体の評価に直結していると感じているこの頃。間違いなかった。食材の豊富さも、それに頼りすぎない料理人としての心意気も感じられる会席に舌鼓を打ちっぱなしだった。ふ〜っ、ごちそうさま。その夜、テレビもつけずに静かに流れる音楽を聴きながら、床についた。
こちらの家訓は「一番になるな」だと言う。「温泉があって、嬉野の皆さんに助けられて、大村屋は続けられたのだから。が祖母の口癖だったんです」と北川さん。リーマンショック後、嬉野の全旅館が大変だった時に発案した卓球大会も、流行りのエステとの共存に腐心しているマッサージ師さん達のイベント「もみフェス」も、さらには温泉街のスナックを応援する「全国スナックサミット」も、その家訓を実践しての活動だったのだ。その真っ正直で誠実な思いに、目頭が熱くなりつつ嬉野温泉を後にした。