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【朝日新聞2012年3月18日】魅・人・伝「温泉街発展へ里帰り」


朝日新聞2012年3月18日

3年前の夏、家業を継ぐ決心をして嬉野に戻ってきた。
1830年(天保元)年創業の老舗旅館に育ったが、大学卒業後は音楽雑誌の編集者になるのが夢。旅館を継ぐつもりはなかった。東京での学生時代、アパートの家賃は仕送りで何とかなったが、生活費はアルバイトで稼いだ。
選んだのは一流ホテルのベルボーイ。どこか懐かしいにおいがして次第に宿泊業にひかれていった。

「目覚めちゃったんですね。私が旅館を閉めたらもったいない。」
旅館の15代目になる意思を固めた。

大学を卒業して2年間、静岡県熱海市の高級旅館に勤めた。
17室だが、宿泊料は1泊5万円以上する。
「部屋数が多い実家の旅館と違う場所に身を置いて得るものがあると思った。」

実家がある嬉野温泉は宿泊客が年々減っている。
1990年代には年100万人近くいたが、いまは38万人。
スリッパ卓球大会や浴衣姿の音楽会を開き、温泉水かき氷や嬉野紅茶プリンを売り出した。温泉街でごみ拾いなどをすると「一日一善」で宿泊料を割り引くなど次々に企画を打ち出してメディアに登場させてきた。

人気を集めている大分県・湯布院や熊本県・黒川といった温泉地のまねをする気は、さらさらない。昔ながらの温泉街の特徴を生かした街をつくりたい。

街を歩いて「へー、こんな食堂が
「ここは典型的なスナックがある」
「流しのお兄さんも」と街を知ってもらいたいのだ。

極端にいえば1泊朝食のみで、夕飯は街のどこかで、と願ってもいる。
「『今度はこの店に』と何度も来る人が増えるようにしたいのです。」

今月上旬に結婚した。
相手は長崎出身の洋子さん(28)。
まもなく、若女将修行を始める。
「いつか16代目の親になるかも知れません。」
若旦那の顔つきが、きりりと締まった。
(長沢豊)